賛否両論 〜扱いづらい体育会系が増える 人事目線で抱く懸念〜

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はじめに

近年、スポーツ業界においても様々な改革がされている。
それはトレーニング面だけでなく部活動の時間制限や夏の高校野球の球数制限などだろうか。
そういった改革は時代に合わせて大いに歓迎なのだが、一番変化していることに指導者と生徒との関係性がひとつ挙げられる。その影響として近年体育会系学生の特徴が変化しており体育会系出身者の魅力がなくなってきているように感じている。
そんな体育会系の人材について考察していきたい。
*賛否両論があるテーマを取り扱います。

従来の体育会系のイメージ

従来の体育会系の主なイメージとしては下記が代表的なものではないだろうか。

・健康的
・快活で明るい性格で可愛がられやすい
・挨拶等を自然に行え円滑なコミュニケーションが出来る
・上下関係を理解しており従順的で扱いやすい
・学力はやや低くともコツコツと継続して努力できる
・多少の理不尽においては上手く対応が出来る
・少々のことではへこたれないストレス耐性
・集団において要領よくこなす
・負けず嫌いで粘り強い

従来では上記のような体育会系が相対的に多かったからこそ体育会系と言うものは重宝されてきていた。
それでは何故上記のような人間形成がされるのかそれは下記のような日常を経験しているからこそではないだろうか。

・上下や同級生とのコミュニケーションを求められる場がある
・毎日の練習の積み重ね
・下級生時代の理不尽ながらもある種の下積みを経験すること
・目標に向けて努力を継続すること
・時としてやる意味があるのか分からない練習を集団で行う
・集団生活と協調性が身についている

部活の意義

部活に属していると正直その部活で実力をつけるために必要かつ効率的な経験かと言われるとそうでないものも多い。

しかし、学生時代部活に属す理由はなんだろうか。勿論プロになることや楽しむこと、勝つ事それは素晴らしい事でそれに向けての努力をすることがスポーツを行う上での人間的成長に繋がるだろう。
それで勝利に向かっていくことが一番の目的ということに異論はない。

しかし、高校の部活で勝者になれる人間がどれだけいるだろうか。高校野球で考えれば今年は3547校が予選に参加しているわけだが、実際に甲子園に出られる高校は49校であり、高校野球は競技者数が約13万4000人であるわけだが、多くの学生は敗者であり次の進路や大人になっていくわけである。
因みに大学野球の競技人口は4万5000人であり、それを4学年でなく、3学年に割ると33750人になる事から高校野球で競技を終えるものが7割以上になると考えられる。因みに全野球人口を富士山の高さに例えるとプロ野球選手は上位の7cmとも言われている。

何が言いたいかと言うとスポーツで勝者になれるものはほんのごく一部と言う事だ。

多くの人間が負けてから次の人生に進まなくてはいけないと言う事である。

人事目線での評価


これまでの日本においては体育会系学生はこれまでの経験を重宝し就職や進学においても評価のポイントとして大きな加点となっていた。
しかし現状その体育会系において価値が低下しているように人事の現場にいると思うところがある。それは体育会系のイメージが崩壊してきているからだ。

昔から巨人の星のような熱血親父が親バカはいてそれは凄く良い事だと考えている。

しかし近年はどうだろうか親バカではなく、バカ親が多い。その結果として下記のような事象に悩む指導者も多いのではないだろうか。

・インターネット等で得た知識で指導へ意見してくる
・起用や指導を巡って納得いかなければSNSに書き込む
・多少の暴言も許されず体罰は一発でアウト
・全てのことに対して理由と説明を求められる
・上下関係等も完全に廃止
・怪我等に関しても全ては指導者の責任

ネットが発達したことで多少の理不尽やミスでも叩かれるような時代の中で生徒と指導者の立場が逆転してしまった。また、自分の意見を発信する事は大いに結構だが我儘と履き違えているものも多い。
実際にここ数年体育会系を迎え入れて良かったと思う事は一昔前に比べて物凄く低くなった。何故なら一番上で書いたような特徴を持ち合わせるものはほとんどいなくなっているからだ。

特に営業などでは時として説明がつきづらい人間関係や数値化できないところから成果に繋がることもあるが、今の体育会系出身者は学力優秀者と同じような計算で業務を行いラッキーパンチが生まれない状況となってしまっている。

昨今であれば体育会系経験者よりも必死に受験勉強をしてきた者の方が努力の過程を知り、結果を残して学歴という箔をつけてくるので価値を見出しやすいし、データ算出等の計算も早いので明らかに使いやすいのだ。

まとめ

私自身も体育会系卒で野球部を経験したが、当時は理不尽やトレーニングに不満を抱いた事はあれども体育会系の典型でそれに応じてきた。勿論全てが良かったというわけではない。ただ、今野球で飯を食えなくても野球をやっていた事で飯を食えている自分がいるのは体育会系を重宝してくれる場があったからである。

自分の子供が大事であることも分かるし勝たせたい親心もわかるが部活を教育の一環として見た時にその場に預けるというのも重要なことなのかもしれない。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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